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なかがわ かずまさ

中川一政

略歴

1893年2月14日 - 1991年2月5日(享年:97歳)

1893年 東京(本郷)に生まれる。

1914年 初めての油彩画《酒倉》を描く。巽画会展で岸田劉生の目にとまり入選。

1931年 水墨画の個展を開く。

1962年 ミュンヘン市立博物館で、現代日本美術に関する講演を行う。

1977年 中国文化交流使節日本美術家代表団名誉団長として中国を訪問。文化勲章受章。

1989年 アトリエのある神奈川県真鶴町に中川一政美術館が開館。

1991年 死去。享年97歳。

中川 一政(なかがわ かずまさ)東京都生まれの洋画家。薔薇も生涯のモチーフに選び晩年になっても描き続けた。また、風景画も多く描いた。主な収蔵先に中川一政美術館(真鶴町)がある。

中川一政が歩き続けた九十七年余にわたる生涯は何であったのか。

 人は誰でも、一人の人物に肩書きを与えて、社会的な位置づけをして、その人間を分ったっもりで安心したがるところがあるが、そのことで何が分ったことになるのだろうか。本当に大事なことは、肩書きや職業的区分けをはなれたところにあるのではないか。

確かに、中川一政は画家である。しかし、油絵にとどまらず岩彩・挿画・書・篆刻・陶器・詩歌・エッセイ等、多様な表現手段を自在に駆使して自らを語ってきた。画家になる動機は二十一才の時に知人から贈られた油絵具一式であったが、すでに少年期から詩歌によって世に出ていた。心に溢れるものを持っていたと言ってよい。

 中川一政のイメージは晩年の強く激しい「戦う人」として定着しているかも知れない。それはそれで間違いないことだが、その出発にあたっては、詩にあっても絵画にあっても、むしろしみじみとした優しさに満ちていることを見落としてはなるまい。

 美術学校で学んだ学歴がある訳ではない。頼るべき組織がある訳でもない。  いつも、「どうすればよいのか?」と自問しながら、徒手空拳で、独行の道を切り拓いて荒野を歩くよりほかなかった。そのことによって画家はたくましくなった。

驚くべきことに、 本当に自分を土台から鍛え直すために、「福浦」の岩壁に立って、いわゆる「福浦時代」 と呼ばれる二十年に及ぶ苦闘を開始したのは、六十才も近くなってからのことで ある。 「達磨は面壁九年、僕は岩壁二十年」 と言って画家は笑ったが、その間、悪評にも耐えた。自分を信じる以外になか った。自分を信ずる者を武者小路実篤や小杉放庵、石井鶴三等の 友情が支えた。

八十才を超えて、「駒ヶ岳」 「向日葵」 「薇」の中に湧き上ってくる生命力は丶 この時に養われたと言ってよい。

 自分を信じるということはどういうことか。それは、「もの」に向き合い、自分の心を揺さぶり動かしてくるものを、それだけを信じるということだ。

 油絵以外の様々な表現手段を駆使して自らを語っているが、それは油絵を本技としてその他は余技、と言うようなものではない。そのどれにも己の全体重がかかっている。何にこだわることもなかった。 自分の中に抑え難く湧き上ってくる止むに止まれぬものを軸にして、中川一政の全ての仕事はつながっている。

 中川一政の生涯をどのように規定しょうと、何と呼ぼうとかまわないが、その筆あとも、その言葉も、自分を突き動かしてくる感動によつて自分を確かめてきた証しであったことは間違いない。

 それだけが真に生きることだと信じ、それ以外の何ものも恐れずに歩き続けた人のメッセージがそこにはある。

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