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おぎす たかのり

荻須高徳

略歴

1901年11月30日 - 1986年10月14日(享年:85歳)

1901年 愛知県中島郡(現・稲沢市)に生まれる

1921年 上京し川端画学校で学ぶ。藤島武二に師事。

1927年 東京美術学校西洋画科を卒業し、渡仏。

1928年 サロン・ドートンヌに初入選。

1948年 戦後初めて日本人画家として再渡仏。

1956年 レジオン・ドヌール勲章授章。

1972年 勲三等旭日章授章。

1981年 文化功労者に顕彰される。

1982年 フランスで荻須高徳の肖像を浮彫にしたメダイユが発行される。

1986年 10月14日パリてに死去、享年85歳。文化勲章受章。

荻須 高徳(おぎす たかのり) 愛知県稲沢市生まれの洋画家。小磯良平は東京美術学校(現・東京藝術大学)の同期生。藤島武二の指導を受けた。佐伯祐三に導かれパリを描く。昭和61年文化勲章を受章。

幼少期

 高徳は1901年(明治34年)、愛知県中島郡(現・稲沢市)の地主の子として生まれる。愛知県立第三中(現・愛知県立津島高等学校)を経て、1921年(大正10年)に上京、小石川(現・文京区)にあった川端画学校に入り、藤島武二に師事する。1922年(大正11年)には東京美術学校(現・東京藝術大学)西洋画科に入学。1927年(昭和2年)に同校を卒業すると、9月に渡仏。1928年(昭和3年)、佐伯祐三らとモラン写生旅行を行い、佐伯の死にも立ちあう。

画家としての開花

 荻須の画家としての最初の成功は1928年(昭和3年)のサロン・ドートンヌ入選であった。1934年(昭和9年)には最初の個展をジュネーヴで開催。この頃から、作風も佐伯と見分けのつかないようなものから、落ち着いた色調、静寂さを備えたものへと変化していく。サロン・ドートンヌ会員に推挙され、フランスでの地位を確立したかに見えたが、1940年(昭和15年)に戦況悪化のため一時帰国を余儀なくされる。この時サロン・ドートンヌ出品作がパリ市買上げとなった。帰国後は新制作派協会の会員となる。

二度目のフランス渡航

 終戦後の1948年(昭和23年)、日本人画家として戦後初めてフランス入国を許可され再び渡仏。以後死去するまでパリで制作活動を行うことになる。1982年(昭和57年)にはフランス国立造幣局が荻須高徳の肖像を浮彫にしたメダイユを発行。後に同国大統領となるシラク・パリ市長(当時)は「最もフランス的な日本人」と彼を評した。同年文化功労者に選定されたのをうけて10年ぶりに帰国したのが祖国の地を踏む最後となった。

最期

 1986年(昭和61年)10月14日、パリのアトリエで制作中に倒れ死去、84歳だった。死の一週間前ほどに同年の文化勲章受賞が内定していたため、11月3日には死去日にさかのぼって同賞が授与された。墓はパリのモンマルトル墓地にある。

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