(^○^)と( ^ω^ )④熊谷 守一

(^○^)東京にいる画家の友達仲間にもそういう熊谷守一さんの消息は何となく伝わって、彼の画才を惜しんで上京を促す画家仲間が多くなりました。

( ^ω^ )彼は再び東京に戻っ て画家としての生活に入ります。しかし、郷家からの経済的援助のないこの画家の生活は窮乏を極めるが、当時の油絵画家の生活というものは、一部の大家を除いては大同小異、皆貧乏は普通のことだったから、とくに熊谷守一はそういうことでは鍛え抜かれた人だったから、極貧の中でも彼は音楽をやる友達と親しくなったりして悠遊と過ごしたそうです。同じ目標同士高め合っていけたんですね!

(^○^)久しぶりに、『赤城の雪』を二科展に出品して二科の会員にも押されています。

( ^ω^ )守一は三十六歳になっていましたが、それから引き続いて二科の会員として、そこに出品することになります。

(^○^)そのころの作品は比較的少ないが、『松』や『ハルシャ菊と百合』など、小品ながらなかなかの佳品です。

( ^ω^ )四十二歳の時、和歌山県の素封家の娘大江秀子と結婚します。この夫人が、その後この画家が亡くなるまで、明治の人としては珍しいほど睦まじく生涯を共にした夫人です。

(^○^)妻の支えが彼の画家人生を変えたんですね!

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