横山 操〜川端 龍子のもとへ②〜

(°_°)その後横山 操さんは時が許せば青龍社での活動を続けていただろうが、この年、20歳にして召集を受け、以後中国各地を転戦し、終戦とともにシベリア(カザフ共和国)のカラガンダに抑留され、石炭採掘を続けねばならなくなってしまいました。

(u_u)その後、帰国して青龍社に復帰したのは、1950(昭和25)年のことです。

(°_°)この年30歳になっていた横山操は、20代を表現者として生きられなかったことになり、「抑留生活十年の空白を、早くとりかえしたいとあせる」こととなるが、横山の爆発的な戦闘的制作を考えると、この抑留期は「かえって貴きものに思われる。(加山又造)」10年間とも言えます。

(u_u)厳しい抑留体験は、青龍社への復帰第1作である《カラガンダの印象》という、炭鉱のボタ山の全景を遠方からとらえた一作に込められ、翌年からは《沼浴ひの町》、《ショーウィンド》など、町の一角を描くようになります。

(°_°)それは同じくシベリア抑留者として一生、絵画主題として抑留体験にこだわった香月泰男の場合と鋭い対照をみせているからだそうです。

(u_u)過去に執着するのではなく、常に現在形で現実に臨もうとしている横山と香月では、作家にとっての絵画の役割が異なっていたのでしょう。

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