久しぶりの投稿です。大学生はいま試験前で大変な時ですね。僕も大変なはずなんですが、昨日高校のころの英語の先生から「金曜の夜銭湯行かない?」と聞いてきました。面白いですよね。僕の高校ってそんな感じです。実は男子校なのですが、僕にはとても良い思い出ばかりあるし、誇りに思っています。また機会があったら話したいと思います。

男子校ってどんなイメージを持ちますか?男がたくさんいそうですよね、その通りです。男しかいません。今日は「伊東深水」を紹介したいと思います。伊東深水は美人画(婦人画)が得意です。深水はどんな絵を描いているのかなと画像検索したときに、その美人画ばかりの光景が広がっていて、僕の高校時代とは真逆の光景でした。それを伝えるだけのために長い導入になってしまいました、すみません。

 

伊東深水は1898年に東京の深川で生まれます。15歳という若い段階で評価され、新聞に絵を依頼されるようになります。若き天才として世を騒がせることになります。それが落ち着いたころに、美人画を描くことに本腰を入れ始めます。最初はあまり評価されませんでしたが、次第に評価されるようになっていき、入賞されるようになれます。あまりの実力に美人画の依頼しかこないという嬉しい誤算もするようになります。こんなに自分の作風が分かりやすい画家は個人的には初めてです。

それでは、明日銭湯に行ってきます。

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美術の世界では一番有名なのではないでしょうか?紹介するのも恐れ多いです、ピカソ。

とても有名なことばかりなので、何を言えば良いのか悩みますが、私のような素人に優しい説明をさせていただきたいと思います。

1881年にスペインに生まれ、主にパリで活躍した画家です。スペイン生まれは実はあまり知られていないのでしょうか?ピカソの絵で一番有名なことは、若い時と晩年で作風が全然違うということではないでしょうか?これは私でも知っているので、皆さんもご存知かと思います。

それはなぜでしょうか。これは私の推測ですが「いつも現状に満足せず、上を極めたい」と思っていたからだと思います。ある程度の地位を得てから作風を変えるということはとても勇気のいることだと思います。それに恐れなかったからこそ、世界で1番有名な画家になったのだと思います。これも意外と知られてないと思いますが、ピカソは最も多くの芸術作品を残しているということで、ギネス記録にも認定されています。もったいぶらず貪欲に作品を残していく姿勢も先ほどのことに通ずることではないでしょうか?

あとは女性問題が多いという有名なところもありますが、それは皆さんでお調べください(笑)

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会社に沢山の美術関係の本があります。時間がある時はそれを見ているのですが、ジャイアンツファンの私の心をくすぐる名前の本がありました。「高橋由一」です。私が最も好きな野球選手、高橋由伸に名前が似ていたからです。怒られるかもしれませんが、そんな事がきっかけでその本を読んでみました。そうすると、その作品に感動してしまいました。特に風景画が個人的には大好きです。他の画家の絵と何が違うのでしょうか。それを探りつつ今回は高橋由一について紹介したいと思います。

 

由一は1828年に江戸に生まれます。1歳で人の顔を描き、周りの人々を脅かせます。武家の家庭に生まれたということで剣の訓練を受けていましたが、体が弱かったということでその道は諦め、絵の道に進むことになりました。川上冬崖の元で絵を学び、その後の由一の絵の核となる油絵は横浜に住むイギリス人ワーグマンに師事します。代表作は「鮭」です。

 

由一の絵の特徴は「リアリティ」です。写真のように描かれた絵は人の手と筆で描かれたものとは思わせない凄さがあります。旧江戸城の作品が個人的には好きです。自分が江戸時代のその場所にタイムスリップしたような感覚になります。私のような素人はまだ、抽象画の良さがまだ分かりません。だからこそ由一の作品の良さがはっきりと感じられたのだと思います。

自分がすごいと思ったものはこれからも知識を特に増やして行きたいと思っています。

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初めて海外の画家について調べていきたいと思います。今回はビュフェです。この人もフランスの人です。以前にも紹介した荻須高徳もそうであったように、想像以上にフランスは芸術の中心地なんだな と感じます。

ビュフェは1928年にパリで生まれます。第二次大戦で傷ついた心の悲しみがそのまま絵に溢れていて、見る人は考えさせられる作品になっています。女性を描くときのモデルはほとんどが妻で、仲睦まじかったと言われています。

1973年には彼の作品だけを展示した美術館が静岡県で開かれました。晩年はパーキンス病に悩まされ、自殺してしまいます。

同じ第二次大戦で傷おった日本人だからこそ彼の作品をよく理解できるということがあるかもしれません。彼の作品を見るときはそういうところに注目して見てみるとさらに深みが増すかもしれません。

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私はいま車の教習所に通っています。夏休み頃には取れるのではないでしょうかと予想しています。最近の若いものは車への興味がないと言われていますがそれは本当だと思います。同世代の人たちを見ても車大好き人間という人はいることはいますが少ないです。私もそのうちの一人かもしれません。それでも将来はそれなりに高級と呼ばれる車になってみたいものです。そういう車の一つにBMWがあります。

今日紹介したい加山又造は芸術家としてBMWとコラボレーションして車体をデザインしたことのある画家です。車という現代の最先端と呼んでもおかしくはないものに芸術家としてコラボレーションしたという事実は正直驚きです。どのような画家なのでしょうか。

又造は1927年に京都で生まれます。父は工房を営んでおり、幼少期からその工房で働く父やお弟子さんに囲まれて美術センスを養っていったと思われます。東京美術学校に進学し、その能力を高めていき、卒業後は国内の大学で指導にあたります。中国の大学へも指導にあたりそこで水墨にも目覚めるようになりました。2003年には文化勲章を受賞し、翌年亡くなられました。

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今回初めて、現役の画家について書いていきたいと思います。

私は今ウキウキしています。それは明日福岡へ旅行に行くからです。羽田空港から飛行機で行くのですが、旅行とは別に勉強として空港で見てみたいと思うオブジェと絵画があります。その美術作品を手がけたのが千住博さんです。

 

千住さんは現在、ニューヨークに住んでいます。東京藝大大学院を卒業するときの卒業作品は東京大学に売却されるなど、若いうちから活躍されている画家です。価値観に自分の考え方をしっかり持っていて、それを作品に反映させています。世の中の流れに敏感で、千住さん曰く世の中の価値観は9.11以降に変わったとおっしゃっているようです。日本がAPECのホスト国になった際も会場デザインを担当するなど、日本で一番の実力者の一人ではないでしょうか。

それでは、明日羽田空港で「今」の作品をみて感じたいと思っております。

 

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中学2年の時の社会の授業で担当の先生(50代で若いとは言えない先生) が「これから休日に少しずつ東海道五十三次を歩いて、制覇していきたい」と言ったのを覚えています。それ以降週末明けには「今日は○○まで歩いた。今度は○○まで歩く」と報告してくれました。いつだったか忘れましたが私が卒業してからその先生は東海道五十三次を制覇したそうです。感動した覚えがあります。

今回は歌川広重の東海道五十三次について書いていきたいと思います。子供から大人まで知っている日本で最も有名な版画の1つであると思います。江戸から京都までの道にある53の宿屋の地点からの景色の絵です。広重はこれらの絵を遠近法を使って描いています。それが当時ヒットしてここまで有名な作品になったのです。この手法は西洋画にも影響を与え、ゴッホなどにも影響を与えたと言われています。ゴッホというビッグネームが出てくるあたりさすが日本で最も有名な作品だというものを感じます。

今回は作家の生い立ちや特徴というよりはひとつの作品について書いていきました。素人なので深いところまで語ることが出来ず自分の中力不足を感じます。もっと勉強して深いところまで語れるようになりたい、そんなふうに思えた今回のブログでした。しかしこんなブログでも興味を持っていただけると嬉しいです(笑)

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私は1日15分の朝ドラを録画して毎日見ています。「とと姉ちゃん」という作品で、戦前から戦後にかけての男性が中心の社会の中で女性が「生きる」ことを描いた作品です。アメリカでは昔は黒人と白人の差別がありますが、日本では黒人白人ほどの強い差別ではありませんが、男女の差別があったと考えさせられる作品です。

今回は、その朝ドラの主人公と同じ時期に女性として美術の世界で努力し、評価された片岡球子について紹介したいと思います。

球子は1905年に札幌で生まれます。女子美術専門学校を卒業後、美術の教師として働き始めます。その傍ら、展覧会へ作品を何度も出品します。力強く描くその画風は球子の特徴でありましたが、ゲテモノ的な絵が人々には受け入れられず何度も落選し、「落選の神様」という烙印を押されてしまいます。しかし、小林古径から自分のスタイルを決して変えることなく、描き続けなさいと言われ、球子自身も「美しく描くことが全てではない」と信じて、創作を続けました。

やがて、球子の作品も評価されることのなり、それまで人物画を中心に描いた球子ですが火山の絵にも挑戦し、その力強い画風は多くの人の心を動かしました。

このように自分の信念を変えないということは難しく、必ずしもそれが合っているとは限りません。しかし球子にはそれが正しかったということです。この時代に活躍する女性には強い信念が必要であることを実感しました。

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どの分野にも才能がある人とそうでない人がいると思います。しかし勉強やスポーツの分野では努力次第でその才能の差を埋められるものであると思います。スポーツ選手だけでなく身の回りの友達を見ていてもそういうことを感じます。又、才能だけでその分野で結果を残すことは無理で、努力をしないといけません。

しかし、美術の分野では才能だけが有無を言わせる世界であると私は勝手に思っていました。今まで調べてきた画家は幼い頃に天性なものを発揮する人ばかりだったということが理由です。しかし、今回紹介する菱田春草は私のその考えを改めさせる画家です。

春草は東京芸術学校に入学します。以前紹介した横山大観と同期であり共に学ぶことになります。はっきり言えば大観は「天才」で学年の中でも常にかなり優秀な成績を残しています。一方、春草は1年生の時はぱっとしない成績であったそうです。しかし学長の岡倉天心の指導や、彼自身の作画を生かすクラスへの移動を勧めたりする中で成績が著しく上がっていきました。最終的には卒業制作で優秀第一席を与えられました。すなわち春風の実力は東京美術学校の指導とそこでの彼の努力が生んだ賜物であると言えます。

私は才能だけでなく、努力でその名声を得た画家を知りました。もちろん他の画家が努力をしていないというわけではありません。春風は美大での他の才能のある生徒との差を努力で埋めた画家であるということを皆さんに知っていただきたいです。

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今朝、時間があったので家でイチロー選手が出場している試合を観ていました。まさかの4安打!打率も4割に乗せ、全盛期の ような活躍を見せてくれています。私が思うに今年の好調の要因はボールをよく見ているということだと思います。今まではその才能からか悪球も打っていたのですが今年は確実に打てる球を打っているという印象です。このように野球選手は年を経るにつれてマイナーチェンジをして相手に対応するのです。

画家も同じかもしれません。自 Read More →

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