佐藤忠良
佐藤忠良 裸婦
宮城県黒川郡で生まれる。 大正8年に北海道夕張町に移る。 昭和9年に東京美術学校彫刻科に入学した同期に舟越保武等がいる。 3年生の時先輩の柳原義達の勧誘で国画会に舟越保武と出品し二人とも入選し受賞する。 この事が忠良の方向を決める事となった。その後、戦争になりソ連での捕虜生活を余儀無くされた。復員後、千葉の夫人の実家に滞在していたが、単身上京し彫刻の制作を始めた。 忠良は、対象を深く観察し、その人間性格まで写し取る様な的確な表現をしている。 言い換えれば、生活感情まで含めて対象の個人を練達した造型力で捉えるが、そればかりでなく、より抽象的なもの、典型的なものを強く求めている。昭和56年には フランスのロダン美術館で個展を開催する。
佐藤忠良作品の場合、現在は所定鑑定機関・所定鑑定人が制定されております。弊社は所定鑑定機関・所定鑑定人では御座いませんので、鑑定証の発行や作品登録、箱書き等は行っておりませんが、鑑定に出される事が最良だと思われるお作品に関しましては、所定鑑定機関・所定鑑定人の真贋鑑定及び鑑定証取得の手続き等のご相談を承る事が出来ます。お気軽にご相談下さい。